サンカクラボ

14年ぶりのタッグで、2度目のスタートアップへ。「カラーズ」経沢香保子氏の新たな挑戦(前編)

Posted by サンカクラボ

女性起業家として、最年少上場女性社長経験を持つ彼女の新しい挑戦

新卒でリクルートに入社し、全国屈指の成績を記録し伝説の営業に。その後、創業間もない楽天に入社し、楽天大学など数々の新規事業の立ち上げを成功させ独立。そしてトレンダーズを創業し、女性起業家として最年少上場女性社長の経験をもつ。

これらの輝かしい実績を持つ女性、それが経沢香保子。そんな彼女が新たに選んだ道、それは“2度目の起業”。CTOには「漫画カメラ」の生みの親である舩木氏、Investorにはサイバーエージェント代表の藤田晋氏、DeNAの共同創業者、川田尚吾氏などが並ぶ。

なぜ、彼女はふたたび起業の道を選んだのか?そしてCTOである舩木氏とは?この二人の出会いから、新会社カラーズの設立秘話まで、深く切り込んだインタビュー第一弾。

創業メンバーは26歳の女社長と、大学1年生のエンジニア。

- まず2人の出会いからお聞きしたいなと思いまして。

経沢:彼がいきなり私の家を訪ねてきたんですよ!

舩木:そうですね(笑)

-(笑)

経沢:26歳で楽天をやめた後、起業しようと企てていたんです。当時はビットバレーブーム。個人でコンサルの仕事を受けていましたけど、それにも限界がありましたし、せっかくなら企業として面白いことをやりたいなと考えていました。

でも1人では難しい。なので、とにかく誰かいい人が欲しいなと思って、当時、無料だったFind Jobに求人広告を掲載したんです。「一緒に起業しませんか?」というメッセージを打ち出して。その時に応募してきてくれたのが、舩木君でした。開発が出来るけど、まだ大学生だったんですよ。

- 舩木さんは学生の頃から開発に携わっていたのですか?

舩木:ええ、大学1年生の時から2つのベンチャー企業で働いていました。ただ、それを1度やめて勉強に集中してようとしていた時に、経沢さんが書いた求人広告を見つけたんですよ。

経沢:そういえば当時聞かなかったけど、どうして応募してきてくれたの?

舩木:「全くのゼロから新しい会社を立ち上げる」、「女性のマーケティング支援」、この言葉に惹かれたんです。テクノロジー寄りではないですけど、技術を使ってさらに市場が広がっていくようなイメージが湧いたんですよ。

それに経歴もピカピカで。リクルートでもトップ、当時ベンチャーの代表格であった楽天でも新規事業を手がけるなど、ずっとトップを歩んで来た人ですし。僕は学生でしたから、トップのビジネスパーソン、キャリアウーマンなんて知らないわけですよ。初めてこういう方を見て、うわぁ流石だなって。

ベンチャーブームの当時、名前が通っているのは、マネックス証券の松本さんや楽天の三木谷さん、サイバーエージェントの藤田さんぐらいで。当時は楽天ですら世間的にはまだまだ新興企業のイメージでしたけど、三木谷さんの下にいたという経歴には惹かれました。

それぞれ、株式上場・ヒットアプリの創出を経験し、再びヴィジョンを共有する仲間へ。

- 開発ができるとはいえ、いち学生が応募してきた訳ですが、経沢さんは舩木さんのことをどう評価されたんですか?

経沢:本当にラッキーだったと思います。今の時代でも、開発に長けた人に出会えないですし。まさか、しょっぱなにエンジニアが応募してくるとは。
それにリクルートでは人材に関わる仕事を、楽天では1,000人以上の面接を経験した過去もあったので、人を見る目には自信がありました。直感的に「この人なら大丈夫」と思いましたね。学生とか、そういうことは関係ないです。

- まさに一つのスタートアップが、おふたりから始まったと言えますね。でも、舩木さんは結局、正式にジョインされた訳ではないんですよね?

舩木:大阪に帰っちゃったんです。そもそも僕は大学生だったので、最低でも大学を卒業しないといけなくて。全部色々やめて、単位をとらないといけないという風になって。その後、東京にまた戻って働きはじめたのですが、その頃にはトレンダーズはある程度大きくなっていました。

経沢:まだ会社が小さい時に一度、遊びに来てくれたことがあるんですよ。システムが立ち行かなくなって、連絡したら舩木くんが来てくれて。そこからまたすぐに手伝ってもらうようになったんですが、舩木君は自分の会社をやっていましたしね。

- 舩木さんはすぐに一緒にやろう、と思わなかったんですか?

舩木:自分で一度は会社をやりたいと思っていましたし、テクノロジーの会社がやりたかったんです。例えば表情認識とか、脳波とか、なんかテクノロジー寄りのことを考えていたので。

経沢:今回のカラーズはテクノロジーの会社を目指していることもあり、そこが合致したので一緒にやろうという話になりましたね。

「実力主義」のリクルートで結果を残し、評価される女性像の確立を目指した20代。

- ちょっとさかのぼって、経沢さんのリクルート時代の話を聞かせていただければと。伝説の新入社員と呼ばれていたというのは存じていますが。

経沢:伝説ではないと思いますが、 私がリクルートに入社したのは、社会で評価されるには、女性の場合圧倒的な結果を数字で残さねばと思ったからです。

就活の時も本当は広告代理店に行きたかったのですが、まだ女性の管理職も日本でもほとんどいませんでしたし、そこを目指すことはすごく遠回りだなと思った時に、リクルートという選択になったんです。

リクルートは実力主義でした。30歳までに何か得るためには、そういう会社に入って結果を出して実績を作ればいい。結局、数字が勝負の会社で戦うことが一番の近道だと思ったんですね、女性が認められるためには。

だから、「絶対に銀座で、営業に配属して下さい。そうでなければ辞めます」と人事に言っていたんです。

- 一般的な感覚で言えば、すでにスーパールーキーですね。リクルート入社当時はどんな社員だったんですか?

経沢:リクルートって新人をやたら可愛がる文化があるんです。つまり、入社直後が、新人の“視聴率”が一番高い。スタートダッシュがすべてだって思っていたので、最初の名刺獲得キャンペーンで勝てば、名実ともに伝説の新入社員になれる、と思ったんですね。

「昨年は1位の人が何枚の名刺を獲得したのか?」、「それを基準にすると、 1日何枚取ればいいのか?」、「そのために効率よく回らなければいけない。じゃあ、どういうルートで訪問すればいいのか?」、「名刺交換をして提案をしている時間はないので、名刺をもらうためのチラシをつくろう!」とか、そこまで考えて動いていましたね。

そんな戦略を立てて、ものすごい勢いで名刺を獲得していきましたね。中には社員全員の名刺を集めてくれる優しいお客さんもいました(笑)。

とにかく、エレベーターで最上階まで行って、非常階段で1階1階下りて、全部のフロアで名刺もらってましたね。もう、2度とやりたくないです(笑)。

- それだけやったのであれば、当然1位になったんですよね?

経沢:実はそれだけやっても、私は全国で3番だったんです。関西の人たちはやっぱりすごくて。1位になった同期は、今は市議会議員になってとても活躍してますよ。私は関東では1位でしたね。

でも、女性なのに関東トップということで、すごく注目してもらって、いろんな先輩に飲みに連れていってもらって、どんどん社内での人脈も広がっていきました。

当時、“ガルコン”っていう、自分がやった仕事を記録するファイルのようなものがあったんですけど、それに載ってる先輩たちに内線で電話して、ノウハウを教えてもらったりしていました。すると、結果的に仕事がデキる先輩たちと仲良くなれたり。

- 当時の経沢さんって、どういう見られた方をしていたんですか?

経沢:とにかく、「すごくまっしぐら」、「目標に対する執着心が異常に強い」って思われていましたね。まぁ、始発〜終電で働いてたこともあって、「あいつには頑張れと言ってはいけない。死ぬまで働いてしまうから」みたいな存在でした。

- 頑張れ禁止令が出ていたんですか(笑)

経沢:「早く帰れ」って言われていたのですが、それで上司と喧嘩になったこともありました。私は仕事がしたくて土日も会社に行っていたのですが、ある日曜日の夜に仕事していたら会社に上司が来て、「おまえ日曜日ぐらい家で休め」って。そんなことを言われて喧嘩になったこともありましたね。

- ただ、その時の経験が今の経沢さんの礎を築いたと言っても過言ではないわけですね。

経沢:リクルート時代に学んだ良いことの1つはとにかく仕事体力がついたこと。そして、物を売ることに対する恐怖心がなくなったので、そういう仕事の基盤っていうのは築かれたかなと。

あとは、頼る力ですかね。自分だけでは解決できないこともあるので、そういう時は「どの先輩に聞けばいいのか?」と考え、周囲に相談することを覚えました。

(続く)続編は12月11日の更新を予定しています。